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聖観音菩薩 [仏教]

 今日18日は国分寺本堂において隆盛(りゅうじょう)観音様の月例供養法要の日。副住職が塩路鉄砲水さんの大谷山道場で行われる春の中祭に参列したので、久しぶりに護摩供養の経頭を勤めました。密厳院発露懺悔文、開経偈、延命十句観音経、般若心経を皆で読頌し、隆盛観音様の御真言はじめ国分寺に祭祀されているすべての御神仏の真言をお唱えしました。御真言は不思議で、お唱えすればそれぞれの御魂が躍動されてそのお働きが顕れるようです。
 隆盛観音様は聖観音立像のお姿で、左手に未開敷蓮華を持されて、右手は与願の印を示されています。
 未開敷蓮華とは未だ開いていない蓮華で、生きとし生ける者すべての者にもとより存在する清浄の仏心そのものです。与願とは、五智五仏を開顕された観音様が一切衆生の所願を満たそうとの御誓願です。
 国分寺宝池院の桜は、毎年他の桜より遅れて開きます。移り住んだ最初の春、いくら待っても咲く様子のない桜に、がっかりして諦めたかけた頃、花が開いているのを見つけて感動しました。
 禿なる木定んで禿なるにあらず。時節に会えばすなわち花咲く(弘法大師)

宝池院の桜、今満開です。

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五蘊皆空 [仏教]

 仏様は、私たちは誰でも五つの集まり、つまり五蘊(ゴウン)で存在していることを教えてくれます。色・受・想・行・識の集まりです。色蘊は身体を言います。受想行識の四は精神作用を言います。受蘊は対象物と出会った時の眼耳鼻舌身の感覚作用で、想蘊はその対象物に対する想像作用、行蘊は対象物に対する意志作用、識蘊は認識作用と言えます。この五蘊で成り立っている私たちは常に、これが私の実体だと思っています。この体もこの心も因縁によって生じた仮有のものであるのに、それに囚われ、それに執着して無明の人生に浮沈しています。
 般若心経において「五蘊は皆空である」と観音様は照見されます。あらゆるものに実体などない。実体がないからこそ人は苦しみの人生を脱却することができるのだと教えられます。生まれた時代、生きた環境によって形成された自分をあらためて見つめ直し、もっと普遍的な自分を実感できたらと思います。
頭上高く旋回して梢に留まった烏

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山中にひときわ映えるコブシの花

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六波羅蜜 [仏教]

 菩薩の修行内容に六波羅蜜があります。波羅蜜とは梵語でパーラーミータといい、到彼岸、完成の意味です。
布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍褥波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、般若波羅蜜を言います。

一に布施波羅蜜、布施行の完成とはどのようなものか。三輪清浄が言われます。つまり布施する者の清浄、布施を受ける者の清浄、布施のされるものの清浄です。己にとって大事なものを差し上げることは執着心を断って貪欲を退治します。

二に持戒波羅蜜、持戒行の完成とは何か。身業の戒めに不殺生、不偸盗、不邪淫、口業の戒めに不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、意業に不慳貪、不瞋恚、不邪見があり、十善戒と言います。また真言宗では三昧耶戒といって己の三業が如来の身密・口密・意密の三密と等しいものとして持戒します。

三に忍褥波羅蜜、忍褥行の完成とは何か。褥めを忍ぶとは、大乗の菩薩行はややもすれば人々に理解されずかえって嘲笑されることも多々あります。法華経の常不軽菩薩は人々に「私はあなたを軽んじません。あなたはいづれ仏となられる方です」と常に説いてられたが、反対に人々はそれを理解できずあざ笑い、菩薩に石を投げるという有様が説かれています。この忍褥の完成は、他の五波羅蜜もですが般若の智慧の完成によって得られるものです。

四に精進波羅蜜とは、布施、持戒、忍褥の菩薩行を止むことなく続けることです。
五に禅定波羅蜜とは、上記の行によって入る心の三昧、統一です。
六に般若波羅蜜とは、禅定によって、般若、すなわち空性の仏智に到ります。
 真言宗では仏様に、閼伽水、塗香、花、香、仏飯、灯明をお供えしますが、それらはそのまま六波羅蜜行の実践となります。

河内国分寺講堂内陣

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無苦集滅道 [仏教]

 苦集滅道は、成道を得て解脱された釈迦様が初めて五人の比丘(道を求めて修行する者)に説かれた教えです。いわゆる四聖諦(四の真実)の初転法輪です。
 苦聖諦とは、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死の苦しみ
            怨み憎む者に会う苦しみ、愛する者と別離する苦しみ、
                求めても得られない苦しみ、五蘊盛んな心身の苦しみの真実を言います。
 苦集聖諦とは、苦の原因となる貪り、渇愛の真実です。
 苦滅聖諦とは、苦の原因となる貪り、渇愛を残りなく離滅し、棄捨し、解脱して執着なき者の真実です。
 苦滅道聖諦とは、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八正道の真実です。
 つまり、苦・集は迷える衆生の有様(結果)と原因であり、滅・道は解脱された仏様のお姿(果)とそこに至る道(因)をお釈迦様は説かれたのです。
 一方、般若心経はその一節で無苦集滅道と、四聖諦の無を説いています。一見逆説のように感じられますが、般若波羅蜜多という空性の覚りの完成を説く心経は、苦集滅道の教法と無苦集滅道の境涯の覚りを説いています。
「箱入り娘ミュー」

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三句の法門 [仏教]

昨日の参詣者が帰り際に「方便ですね。お寺にきて山を歩き元気を得るのも」と言って降りて行かれた。
仏様の教えに、
  菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす
という三句の法門がある。
河内国分寺を復興しようという思いが芽生え、膨れあがり、そしてその道を歩いている。その原初は知らない。その意義も覚束ない。因縁所生だという自覚はあるが…ただ方便を究竟としてその道程を歩くばかりだ。
世の常識では計りしれない同行者に支えられて。(感謝)

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