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区長研修会(養翠園・稲むらの火の館) [研修会]

こんばんは、持慧です。

先日、柏原市区長(行政協力委員)の研修会に行って参りました。

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集合は国分駅ロータリー。

バスを走らせること約2時間。
和歌山市にある「養翠園」です。

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養翠園とは、

「紀州藩第10代藩主徳川治寶によって、文政元年(1818年)から文政9年(1826年)にかけて造営された西浜御殿内の広大な大名庭園である。元々は、紀州藩士山本理左衛門の下屋敷であったと伝わっている。総面積は33,000平方メートル。(甲子園と同じぐらい!) 国指定文化財。 平成7年(1995年)のNHK大河ドラマ「八代将軍吉宗」のロケ地である。」

上記写真はその中の湊御殿(みなとごでん)という屋敷です。

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広大な庭園の池の中心でお祀りされているのはなんと弁才天様と御稲荷様。
今日寄せていただいたのも弁才天様のお導きがあったようです。

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本当に広くて味わいのある庭園です。雅な気持ちになりました。

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昼食。

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続いては「稲むらの火の館」

「稲むらの火」とは (以下wikipediaより抜粋)

「稲むらの火(いなむらのひ)は、1854年(安政元年)の安政南海地震津波に際して紀伊国広村(現在の和歌山県広川町)で起きた故事をもとにした物語。地震後の津波への警戒と早期避難の重要性、人命救助のための犠牲的精神の発揮を説く。主人公・五兵衛のモデルは濱口儀兵衛(梧陵)である。 〈概要〉 村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じたあと、海水が沖合へ退いていくのを見て津波の来襲に気付く。祭りの準備に心奪われている村人たちに危険を知らせるため、五兵衛は自分の田にある刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火をつけた。火事と見て、消火のために高台に集まった村人たちの眼下で、津波は猛威を振るう。五兵衛の機転と犠牲的精神によって村人たちはみな津波から守られたのだ。 さらに、「稲むらの火」には描かれていないが、儀兵衛の偉業は災害に際して迅速な避難に貢献したことばかりではなく、被災後も将来再び同様の災害が起こることを慮り、私財を投じて防潮堤を築造した点にもある。これにより広川町の中心部では、昭和の東南海地震・南海地震による津波に際して被害を免れた。」

非常に長い引用になってしまいました・・・。
私も今回の事で初めて知り、誠に徳の高い偉人が確かに実在して、
地元の方は皆それを誇りに思い、その偉業を語り継ぎ、
また防災意識を高めるために建てられたのが「稲むらの火の館」だそうです。

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やはり、先般の東日本大震災を契機に関心が高まったこともあり、
多くの団体や小学生が来館され、研修されています。

地震、津波、台風・・・人の力ではどうにもならないことばかりですが、
それでも備えを持って助け合い、一人でも多く難を逃れ、命をつないでいくことが
人間の務めだろうと思います。

そのために先人の偉業を学び、智慧をいただく。

横のつながりと縦のつながり、
我々は人と人との間で生かされる人間なのだと改めて実感致しました。


持慧 拝




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