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久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/25 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji般若心経秘鍵に言う分別諸乗分の普賢菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、縁覚、声聞、観音菩薩の三摩地について理解の範囲で記しました。深般若波羅蜜多を行じての覚りなので容易には至れませんが、更により深く思惟し行じたいものです。来年度は行人得益分、総帰持明分、秘蔵真言分について述べます。(合掌)12/25 16:58

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/24 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji観音菩薩の覚りを秘鍵は、「蓮を観じて自浄を知り、菓を観て心徳を覚る。一道に能所を泯ずれば 三車即ち帰黙す」と説きます。蓮が汚泥に染まらず浄く咲くのを観て自性清浄を覚り、同時に菓を観て自然に備わっている心徳を覚る。一道に入りて能所二の分別を亡くせば、声聞・縁覚・菩薩の三乗は帰黙す。12/24 18:29
  • kawatikokubunjikawatikokubunji分別諸乗分最後の「無智亦無得以無所得故」は観音菩薩の三摩地門です。「智も無く、亦得る所無しを以ての故に得ることも無い」秘鍵によれば、智は能達を言い、得は所証を言うとあります。空性の三摩地において極まるところは、悟る智も無ければ悟られる理の分別が無く、即ち一切の理智は一に帰します。12/24 07:03

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/23 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji声聞の三昧として「白骨に我何んか在る 青瘀に人本より無し 吾が師は是れ四念なり 羅漢亦何ぞ虞まん」と秘鍵は説いています。白骨となった身の何処に我という実体があろうか。青瘀に人はもとより無い。身受心法において身は不浄、受は苦、心は無常、法は無我であるの四念に住して浄楽常我を離れん。12/23 19:04
  • kawatikokubunjikawatikokubunji集諦とは、これらの苦の原因は求めて飽くことのない渇愛つまり愛執です。滅諦とは、その愛執を完全に滅した悟りの境地を言います。そして道諦は、滅の境地への道程として八正道が説かれます。即ち正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定を言い、楽行あるいは苦行の偏りを離れた中道です。12/23 06:01

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/22 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji「無苦集滅道」は声聞さんの三昧で、声聞とは仏の教えである四諦を聞いて悟る者の意です。迷える衆生の苦諦、その原因の集諦、悟った仏の滅諦、その因となる道諦です。つまり衆生の因果と仏の因果の四諦です。衆生の苦果は、四苦八苦の生老病死及び愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦等々です。12/22 06:13

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/21 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji秘鍵はこの縁覚さんの悟りを次のように説きます。「風葉に因縁を知る。 輪廻幾ばくの年にか覚る。露花に種子を除く。羊鹿の號、相連なれり」風によって葉が散るのを観て、諸行無常の因縁を悟る。生れ変わり死に変わりの輪廻をどれほどの年を経て覚るのか。露の如き命より業の種を抜く声聞・縁覚は。12/21 19:02
  • kawatikokubunjikawatikokubunji前は流転門といわれ、無明、煩悩の只中にある私たち衆生の有様ですが、仏はこの縁起の真理を覚られて無明を滅し、十二支をそれぞれ滅し畢竟して苦を滅せられました。この縁覚仏の境地から般若心経は「無明も無く、亦無明の尽きることも無く、乃至老死も無く、亦老死が尽きることも無し」と説きます。12/21 06:16

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/20 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji「無無明亦無無明尽 乃至無老死亦無老死尽」は縁覚(独覚)さんの三摩地門です。縁覚さんは、人間の苦である生・老死が如何に成り立っているのか、如何にそれを滅するかを、十二支縁起を思念して覚ります。苦は無明により行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死と順次に縁じて生じます。12/20 19:16
  • kawatikokubunjikawatikokubunji弥勒の境地を秘鍵は「二我何れの時にか断つ 三祇に法身を証す 阿陀は是れ識性なり 幻影は即ち名賓なり」と説きます。我と我がものとする執着をいづれの時に断つのか。三祇の時を経て法身を証得する。我と執る阿陀は過去の因縁を蓄積する蔵識であり、我がものと取る六境の幻影は訪れた賓客の意です。12/20 06:26

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/19 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji因みに三摩地とは、正定や三昧と同じ意味で心を一境に専注して乱さず、動ぜず妄念を離れることを言います。心を空に専注すれば、我がものと思う六根は空性にして自性無く、随って六境、六識もありません。このように弥勒の大慈三昧は、心を汚す六塵とも称される六境を遮って、苦を去り楽を与えます。12/19 20:29
  • kawatikokubunjikawatikokubunji是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 無眼界乃至無意識界は秘鍵によれば弥勒菩薩の三摩地法門です。弥勒の大慈三昧は楽を与えるを宗とし、因果を示して戒とし、相と性を別論して唯識をもって境を遮ります。空の故に五蘊無く、六根、六境、六識の十八界無しと心経は説きます。 12/19 05:52

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/18 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji文殊菩薩について秘鍵は「八不に諸戯を絶つ 文殊は是れ彼の人なり。独空畢竟の理、義用最も幽真なり」とあります。生・滅・断・常・一・異・去・来の八迷を破して、すべての執着や戯論を離れた畢竟空の真理こそ、その意義とはたらきは最も幽かにして真実だということです。12/18 20:28
  • kawatikokubunjikawatikokubunji是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減は智徳を主る文殊菩薩の法門で、八不の利剱を揮って妄執の心を絶つと秘鍵にあります。獅子に乗るお姿で、理徳を主る普賢菩薩と共に釈迦三尊として拝されます。是の諸法の空相は、生ぜず滅せず、垢れず、浄からず、増さず減らず等、相対する諸戯論を絶ちます。12/18 08:01

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/17 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji普賢菩薩は理、定、行の徳を主る菩薩で、特に定、行を象徴して白象に乗るお姿で知られます。秘鍵には一切如来の菩提心行願の身だとあります。迷いの境涯である色と、悟りの境涯である空は本より二あるものでなく、事象と真理はこのかた同じものだと説きます。大海の水と波動の水に違いはありません。12/17 20:04
  • kawatikokubunjikawatikokubunji「色不異空 空不意色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」と仏は仏弟子の舎利子に説かれますが、空海の秘鍵によればこれより分別諸乗分で、菩薩等のそれぞれの悟りの境地です。上記は普賢菩薩の円融の三法に該当します。色は空に異ならず。空は色に異ならず。色は即ち空なり、空は即ち色なり。12/17 06:52

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/16 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunjiこれら五蘊は因縁所生に依るので仮有です。その有り様が空だと言われます。空を認識するならば此の世の一切の苦から解放される? 否、空は単に聞いて知る、思考して知るだけでは照見できず、そこに般若波羅蜜多の深い行を修めなければ到れないようです。愛別離苦、未だにどうしようもありません。12/16 18:45
  • kawatikokubunjikawatikokubunjiさて識蘊ですが、受、想、行が心のはたらきだとすれば、識はそのはたらきによって蓄積され、形成された心であり、我とする心です。この識をもって更に受、想、行がはたらき、無明の生死流転を繰り返します。我れと我がものに対する執着、愛着によっていわゆる四苦八苦の苦悩があります。12/16 05:51

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/15 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunjiついで行蘊ですが、心をもって造作(意志作用)することで、ひいては業の意味とされています。身業、口業、意業を形成していく心作用です。つまりは心をして、善にも悪にも無記にも作りなす心だとされます。思えば想蘊、行蘊の迷境も、仏を観想し、仏行を修すことにより転迷開悟の道と成るのでしょう。12/15 19:05
  • kawatikokubunjikawatikokubunji第二の想蘊は、対境において何らかの像を取る心の表象作用です。また心に取り入れた像に対して、名言を付して概念化する作用です。自らの経験や環境、様々な縁によって、対象を想い描きます。小想、大想、無量想あり、三悪想としては貪欲想、瞋恚想、殺害想、三善想に出離想、不恚想、不害想あります。12/15 06:21

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/14 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji五薀の空の認識も然りですが、先ず仮有の五蘊、特に心作用の四蘊についての認識から始めたいです。一に受蘊ですが、身受と心受の二受において対象を楽(喜)と受けるか、苦(憂)と受けるか、どちらでもない(捨)と受けるかです。受はこの三受に限られる事は大事です。故は貪瞋痴の三毒煩悩の源です。12/14 18:30
  • kawatikokubunjikawatikokubunji五蘊皆空=色受想行識という身と心作用のあり方はすべて空。空について龍樹菩薩は『中論』で「因縁所生法とは、我れ即ち是れを空と説き、亦是れ仮名と為し、亦是れ中道の義なり」と、因縁所生法において言及しています。我がものと思っている五蘊は、因縁により生じたもので実には我という実体無し。12/14 07:01

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/13 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji前に五蘊を我が迷いの境涯としたのは、空海の「五蘊は横に迷境を指し、三佛は竪に悟心を示す」(般若心経秘鍵より)に依ります。12/13 21:06
  • kawatikokubunjikawatikokubunji「観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行じ五蘊は皆空であると照見されて一切の苦厄を度された」(般若心経)般若波羅蜜多は智慧の完成、つまりは五蘊は空だという絶対の真実を照見した智慧によって、一切の苦厄を完全に脱した有様。五蘊は色受想行識という肉体と四の精神作用の集まりである我が迷いの境涯。12/13 18:17
  • kawatikokubunji

久米持水「般若心経つれづれの記」まとめ投稿 2012/12/12 [ツイッター]

  • kawatikokubunjikawatikokubunji観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄。(般若心経)空海は、心経を五分してこの冒頭の句を人法総通分とされます。人とは、普賢菩薩、文殊菩薩、弥勒菩薩、観音菩薩、独覚・声聞さんの深般若の法を行じられた観音様です。心経には仏陀のすべての教えが網羅されている。…らしいです。12/12 18:29

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