地蔵盆 [神仏と法要]
例年8月23日は国分寺で地蔵盆の供養をします。
始めに、「賽の河原の地蔵和讃」を詠歌講でお唱えします。
これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて……
と、親に先立ち亡くなった幼児が、賽の河原で両親を慕って泣き叫ぶ有様と、
一方、親の菩提のため、兄弟の菩提の為、我が身の菩提の為と
石を積んでは塔をつくり、祈りを捧げる姿が描かれています。
これを地獄の鬼が金棒で打ち砕くのですが、大慈能化の地蔵尊によって救われるお話です。
法要の後、お導師の住職さんが、
幼児の見えない祈りに気づかねばなりませんと、諭されました。
児童虐待が繰り返され、死にまでいたらしめている昨今、
地獄の鬼は、まさに親そのものとも言えます。
幼児が、親、兄弟、我が身の菩提に回向する反面、
親は、無明の感情に拘泥して鬼と化すばかりです。
能化の地蔵尊には、ほど遠いですが、幼児の祈りに気づき、
菩提を求めることから始めたいものです。
始めに、「賽の河原の地蔵和讃」を詠歌講でお唱えします。
これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり 二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む 一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して 昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて……
と、親に先立ち亡くなった幼児が、賽の河原で両親を慕って泣き叫ぶ有様と、
一方、親の菩提のため、兄弟の菩提の為、我が身の菩提の為と
石を積んでは塔をつくり、祈りを捧げる姿が描かれています。
これを地獄の鬼が金棒で打ち砕くのですが、大慈能化の地蔵尊によって救われるお話です。
法要の後、お導師の住職さんが、
幼児の見えない祈りに気づかねばなりませんと、諭されました。
児童虐待が繰り返され、死にまでいたらしめている昨今、
地獄の鬼は、まさに親そのものとも言えます。
幼児が、親、兄弟、我が身の菩提に回向する反面、
親は、無明の感情に拘泥して鬼と化すばかりです。
能化の地蔵尊には、ほど遠いですが、幼児の祈りに気づき、
菩提を求めることから始めたいものです。
2011-08-23 20:29
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