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祈りの道・高野山町石道② [神仏と法要]

こんばんは、持慧です。

改めまして高野山町石道とは、
「慈尊院(和歌山県伊都郡九度山町)から高野山(和歌山県伊都郡高野町)へ
通じる高野山の表参道で、弘法大師が高野山を開山して以来の信仰の道とされてきた。
国の史跡「高野山町石」として指定されている(1977年〈昭和52年〉7月14日指定、
1997年〈平成9年〉3月6日追加指定)。
2004年7月に、ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部として登録された。」
(wikipedia)

私自身は6年前、高野山専修学院時代に修行仲間達と共に登ったきりで、
いつかまた歩きたいと思っていた念願がこの度叶うこととなりました。

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そんなわけで慈尊院付近の駐車場より出発です。 8:20
今回のメンバーは私の伯母夫婦、塩路さんと他男性2名の計6人です。

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慈尊院様にて出発前のお参りです。
こちらは弘法大師様の母公がおられた所で、弥勒菩薩様を本尊とする女人結縁の寺です。

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慈尊院から階段を上ってすぐの丹生官省符神社もお参り。

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社殿の脇に大きな絵馬が。
お大師様(弘法大師様)は高野山開創の折、この絵馬に描かれている白黒2頭の犬を従えた
狩場明神(高野明神)の案内を受けて高野山に登られたと言われています。

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丹生官省符神社を出てすぐにあるのが町石(ちょういし)です。
1町は約109メートルだそうです。
慈尊院をスタートして高野山根本大塔まで180基あります。
これは179町の石です。町石に手を合わせながら進みます。

「町石は、弘法大師が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代の文永2年(1265年)頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285年)に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。」(wikipedia)

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石が大好きな塩路さん。町石を見つけるたび立ち止まり、確かめます。

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景色の良い展望台で一服。

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地下足袋から草鞋に履き替える塩路さん。しかも裸足・・・。

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天気も良く、気温も涼しく、とてものどか。有り難い限りです。

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途中、石仏を発見。お地蔵さんかと思いきや・・・

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お大師様でした。

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皆でお勤め。 10:15


次回に続きます。

持慧 拝


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