SSブログ

杜本神社参拝 [神仏と法要]

毎月14日は杜本神社、聖七母稲荷社、大黒天神の三ヶ所を参拝している。杜本神社は河内国分寺に隣接しており、平安時代の延喜式に記載される名神大社で、昭和47年に社殿が再興されて以来、国分東条町の旧村の世話役さんで管理されている。当寺も、国分寺の鎮守神として14日は神社の内外を掃き清め、参拝させて頂いている。
一説によれば、明治40年12月25日国分神社に合祀され、その境内社となる。 昭和47年再び旧地に社殿が再興される。この付近は周辺は安宿郡の名族、下村主(鋤田氏)の本拠だということである。 崇神天皇のころ香取明神十四世神孫伊波別命(いわわきのみこと)がこの地は祖神経津主神の陵墓のところであるとしてこの地に住み給、神をおまつりされたのがこの杜本神社のはじまりとされる。
 上記参照http://www.geocities.jp/engishiki01/kawachi/html/040301-02.html

 経津主神(ふつぬしのかみ)とは、日本書紀によれば出雲の大国主命に国譲りの交渉をされた神様として登場している。フツは剣の切れる音をあらわし、その威力を意味すると言われる。その祖は、伊弉諾神(いざなぎのかみ)が、火神の迦具土神(かぐつちのかみ)を斬ったとき、剣から滴る血が磐石について生まれた磐裂神(いわさくのかみ)、根裂神(ねさくのかみ)二神の御子である磐筒男神(いわつつおのかみ)、磐筒女神(いわつつめのかみ)であるとされる。ツツはツチと同じで、剣を鍛えるときの石槌の神であると考えられている。つまり国譲りの交渉を成した経津主神とは、相当の威力ある剣そのものといえるだろう。
 下村主の鋤田氏の名前が示すように、その一族は農耕に有益な金属器を産出してその村を治めていたのだろうか。清らかな谷川には、鉄錆を帯びたような茶渇水の液体が所々湧いている。村人に火の谷(旧称氷の谷)さんと呼ばれる杜本神社。神社を麓に頂く山内(河内国分寺境内)には、岩石が磐座のごとく随所に存在しており、畏敬の念を抱かせている。
杜本神社参道
DSCN2993.JPG

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

シンガポールの娘

震災が起こって以来落ち着かない毎日です。何も出来ないのですが、何かしたいという思いが空回りしております。そんな中久しぶりにブログを拝見しました。先生の文章を読み写真を見、そうか・・・特別じゃなく出来ることからやっていけばいいのかと思っております。こちらでも日本へ支援をという動きが活発化しております。地元の方も一生懸命になってくれてます。ありがたいです。一日も早い復興を願いつつ、自分に出来ることをやって行きます。
by シンガポールの娘 (2011-03-18 10:04) 

持水

先日のテレビで被災地の方々が山に入って木を伐採し、大きな穴を掘って簡易トイレをつくってられました。便器は落ちているのを洗って使用するとのこと、かたや調理場をつくり、当番を決めて山に薪を拾いに行き、自ら炊きだしをされていました。これだと思いました。原点に戻り自ら命をつなぐ。海の幸、山の幸、田畑の幸を頂いて営々と人は命をつないできました。これからも。
周囲の支援はもちろん大事です。国分寺においても義援金を集めて高野山に依託し、河内国分寺では柏原市を通じて協力させて頂くこととしました。
今、私たちにはこの災害の教訓をどう生かしていくかが問われています。
by 持水 (2011-03-19 06:32) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。